Half Japanese共同創設者David Fair死去、74歳

米国のアート・パンク・バンドHalf Japaneseの共同創設者David Fairが死去した。74歳だった。死去は8月30日(日)、レーベルThick Syrup Recordsによって確認され、その後兄弟でバンドの相棒でもあるJad Fair、プロデューサーのDon Fleming、音楽メディアやファンが相次いでSNSに追悼の言葉を投稿した。Flemingの投稿によれば、Fairは近年がん治療を受けていたという。死因については現時点で公表されていない。
各界からの追悼
Thick Syrup Records創設者のTravis McElroyはInstagramに「This one really hurts(今回は本当につらい)」と投稿。Fairの友人になる前から彼のファンだったこと、後にFairの作品を複数リリースする機会を得たことを振り返り、彼を「genuinely good, one-of-a-kind human being(誠実でかけがえのない人物)」と評した。
プロデューサーのDon Flemingは音楽メディア《Clash》に対し、Fairを「a pure artist and musician(純粋なアーティストであり音楽家)」と称し、ユーモアがあり穏やかな性格だったと語った。Jad Fairは2人の写真を投稿して追悼。1993年のHalf Japaneseのドキュメンタリーを監督したJeff Feuerzeig監督も同日、死去を確認した。Stereogumなどのメディアや多数のファンアカウントも追悼を投稿し、多くが「no rules(ルールなし)」という言葉でFairの創作姿勢を表現している。
Half JapaneseとLo-Fiの遺産
David FairはJad Fairと共に1970年代半ば、ミシガンからメリーランドに移り住んだ後にHalf Japaneseを結成した。コードや伝統的な演奏技術に縛られないスタイルで、アンダーグラウンド・シーンで急速に支持を広げた。バンドは1977年にEP《Calling All Girls》でデビューし、1980年に初のフルアルバム《1/2 Gentlemen/Not Beasts》をリリースした。
David Fairはその後《Loud》《Our Solar System》《Sing No Evil》にも参加し、1987年に正式なメンバーとしての活動を離れたが、その後数十年にわたり不定期に復帰し、バンド外でも兄弟での共作を続けた。ソロ作品も発表しており、Coo Coo Rockin Timeなど別のバンドも結成している。
読者にとっての意味
Half Japaneseは1990年代オルタナティブ・ロックの重要な源流の一つとされ、Sonic YouthやNirvanaが影響を公言している。1993年のNirvana《In Utero》ツアーではHalf Japaneseがオープニングアクトを務めたが、当時David Fairはすでにバンドの正式メンバーではなかった。